岡大キャンパスの戦跡めぐり

岡大キャンパスの『戦跡』を歩く

明治38年(1905年)、優勢のうちに日露戦争を終えた日本は、明治40年9月、従来の13個師団から6個師団増設することとし、直ちに着手した。このとき岡山の地に第17師団が新設されることになり、明治22年、上伊福村と津島村が合併してできていた伊島村の広大な水田用地が選ばれた。埋立て造成から建物群すべての建設を含めて、わずか6ヶ月の期間に建設しなければならない。現在の岡山大学津島キャンパスの地は兵営に、現運動公園一帯は、戦闘訓練のための練兵場に変えられていった。

岡山県歴史教育者協議会元会長・角田茂氏作成のレジュメより



現在の岡山大学津島キャンパスにおいても、こうしたかつての戦争の時代の名残をわずかに見ることができます。1998年5月、組合は岡山県歴史教育者協議会の角田茂・元会長を講師にお招きし、「岡大キャンパスとその周辺の『戦跡』を歩く」と題した野外学習会を行いました。4年前の野外学習会以降にも、旧職員組合事務所(戦争当時の将校集会所)をはじめ、いくつかの往時からの建物が取り壊されてしまいました。いつも見慣れた風景の中に埋もれている戦争の歴史を改めて思い返し、平和を求めつづけるために、角田先生に案内していただいた戦跡の中からいくつかご紹介します。

なお、角田先生はかねてからご闘病中のところ、ご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。

入浴場跡(中央図書館西側・現考古学資料室)
軍隊入浴場として使われていた、赤レンガの建物。中央図書館の西側にあり、現在は考古学教室の資料室として使用されている。
軍人勅諭の碑(岡大東門付近・旧学生部)
1932年(昭和7年)4月、軍人勅諭「下賜」50周年を記念して陸軍兵器本廠岡山出張所の職員が建立した碑。旧軍の建物であった学生部事務棟(現在は取り壊され駐車場になっている)の玄関前付近に現存。砲身型の碑の中央にはめこまれた碑文は敗戦時に撤去されたが、のちに復元された。
師団・旅団司令部跡(旧事務局庁舎 )
第17師団(大正14年廃止)司令部・歩兵第33旅団司令部として使われていた建物。現在は研究推進産学官連携機構として使用されている。
鉄橋爆破訓練跡(現法文グラウンド南側)
鉄橋爆破演習場の跡地。かつての輜重兵第17大隊・工兵第10大隊の跡地にあり、現在は法文グラウンドの南西側にレンガ造りの土台だけが残っている。この土台に架橋し、これを爆破して破壊する訓練が行われていた。
コンクリートの高塀(教育学部南東角)
兵器本廠岡山出張所(現教育学部・工学部・環境理工学部付近)に運び込まれる諸兵器のうち、最新鋭の通信機器が保管されていたところに、外部からの目隠しのためにコンクリートの塀が周囲よりひときわ高く作られていた。高さは約5メートル。この塀のすぐ脇を走る外周道路からは、まるで刑務所の塀のように異様にそびえ立っているように見える。